報道写真家 沢田恭一2017/08/27 19:46

沢田教一「故郷と戦場」羽鳥書店

1970年10月28日に、沢田教一がカンボジアで死亡してから、47年が経とうとしているのに、日本橋高島屋の会場には、意外に感じるほど大勢の方が訪れていた。
多くは年配の方だが、学生らしき人や若い女性もちらほら見受けられた。

はじめて沢田教一の名を知ったのは、文藝春秋刊「ライカでグッドバイ カメラマン沢田教一が撃たれた日」青木富美子の作品だった。
最近では、平敷安常「キャパになれなかったカメラマン」で沢田教一の生き方を知る。

平和になった旧サイゴン、フエ、そしてアンコールワットに写真を撮りに行きたいと思った。

道路に落ちていた2017/04/08 23:35

北の丸公園牛が淵のサクラ
家から駅に向かう途中の道では、さまざまな遺体に出会うことがある。
暑い日照りのあとでは、多くのミミズが干からびていたり、セミやバッタの死骸が落ちていたり、空を見ていることのほうが好きだから上をみて歩いていることが多いはずなのだが、なぜか道路に残されているものに目が留まる。

もうだいぶ前の話になるのだが、電線にとまっていたスズメが激しく泣いていた。
声のさきを見ると、道路の真ん中に、子スズメらしき鳥の遺体があった。
あのスズメは親なのだろう、と思いながらも、駅に向かって歩き去った。
翌日、その死んだ子スズメは、車にひかれたらしく、同じ場所でペチャンコになっていた。
もう、母スズメの声は聞こえてはいない。

雨が降ると、さまざまな死の痕跡が地面から消えていく。

宝塚市でスカンク捕獲!?2017/04/04 22:53

北の丸公園の花見客

宝塚市では、市内にアライグマやヌートリアが出没して迷惑なので、「箱わな」による捕獲を試みているそうだ。
「※公共の場所(公園や道路等)などには、箱わなを設置することができませんのでご注意ください。」と宝塚市の「アライグマにご注意を!」サイトに書いてある。
そこで、某N社長宅でも「箱わな」を設置したらしい。
ところが、罠にかかったのはなんとスカンク!

家の近くにあった罠にかかったスカンクを、まだ若い自分の奥さんが捕まえて、どこかへもっていったという、某N社長から定例会後の懇親会で報告というか、そういう話があった。
一瞬でN社長のまわりの席は、スカンクの話題一色となる。
「スカンクは臭かったか?!」とか「どのように罠から出したか??」、「「どこにもっていったのか」などと、しごく当然なる疑問に、何も答えられないそのN社長は「とても驚いて見ていられなかった」とか、なぜかしどろもどろとなる。
「奥さんから何か聞いたろ」と食い下がる質問者たちに、「任せたから…」と、なんとも頼りない返事しか返ってこない。

それで、自分の家の周りにはどんな動物が出るか、という話題に変わり、狸やウサギ、リスにハクビシン、マムシなど、田舎の生き物が出没する話となる。
しかし、書店のある街に出没する動物としては、なんといっても宝塚という場所にスカンクという組み合わせが一番珍しいという結論となる。
次回、某N社長のスカンク顛末の報告は聞けるであろうか。

米ぬか肥料2017/04/03 21:58

北の丸公園に咲いていた紫の花
友人からお歳暮として送ってもらった玄米20kg。
最初は健康にも良いと、玄米をそのまま炊飯して食べていたのだが、せっかくの魚沼産コシヒカリである、精米して食べたくなった。
近くに、無人の精米所がいくつかあって、そこで精米することが出来た。
昨年は、ついに精米機を購入した。米を炊くたびに精米するので、よりおいしいように感じられる。
贈り物のコメが終わると、スーパーで売っている玄米を購入して精米しているのである。
割高になっているかも知れない、などとは思うのだが、当面はこれで行くことにしている。

ところが、である。米ぬかが意外な量で貯まってしまい、その対策を立てねばならなくなった。
当初は、糠漬けの元にするか、そうじに使うか、肥料にするか、などと考えているうちに、どんどん袋が一杯になるほど貯まり続ける。
いろいろと調べたところ、大量に使う方法として「ぼかし肥」がよさそうなのだ。
もう少し詳しく調べて、野菜の肥料に使おうかと考えているが、いかに。

ガス湯沸かし器も交換2017/03/30 22:39

へぎ蕎麦

今住んでいる家は、建ててから17年が過ぎた。そろそろ、いろいろな器具を交換する時期に入っているのであろう。
温水を供給しているガス湯沸かし器のスイッチが入らなくなってしまった。
家の外にある湯沸かし器を点検すると、少しだが水漏れしている。漏水が原因だろから、すぐに電源を切って交換することにした。
ガスが絡んでいるだけに、自分で交換するというわけにもいかず、ウォッシュレットを購入した業者とは別の業者に設置までを依頼した。
こちらも近所のガス業者のチラシにあった交換費用のほぼ半額に近い見積りだった。
作業員が2人で、半日の仕事。この作業は慣れているらしく、テキパキと気持ちの良い仕事ぶり。仕上がりも丁寧で、とても満足である。

今後の交換リストとしては、寝室の空調機が17年物だ。こいつはまだ頑張っていられるらしい。

ターバンは固いか2017/03/25 07:39

ジェットコースターの出発
「インドでは、ターバンを巻いていればヘルメットの代わりになる」と近所の床屋の親父が言う。それを聞いたのは、床屋の近くにあるカレー屋のインド人の親父からだ、とのこと。

そのカレー屋へは妻と行ったことがあるが、インドカレーの店は実はネパール人のカレー屋だと店主が言う。近くにあるカレー屋はみんなネパールカレーだということだった。
しかし、インドとネパールカレーの味の違いが判らないのであるから、私にとってはさほど重要なことではない、気がする。
さらに、そのインドカレー屋には、なんとビーフカレーもある。
店主がキリスト教徒だから、問題はないとのことだが、彼の言うネパールカレー屋には、ビーフはない。

それでターバンの話にもどると、ターバンは固く巻くので転んでも安全だ、と床屋が見てきたように言う。
確かにターバンをつけてヘルメットをかぶるのはかなり難しそうだ。というか、それをやったら却って危ないことになる。

もし、インドに行ったなら、バイクに乗ったターバンを見つけるとともに、そのターバンが固いか確かめる必要がある。

初めての「盗撮」騒ぎに遭遇する2017/03/23 22:09

神保町 まる香うどんの行列
会員書店の改装計画を確認するために、店舗を訪れた。
店に入った途端、そこのI店長が「盗撮だ!」と言って、男性を羽交い締めにした。
その男性の携帯電話を取り上げて、平台の上に置く。
なぜかその携帯を拾おうとするお客に、「証拠品だからそのままにして!」とI店長。
少し抵抗を続ける男性を、O社長とI店長が抑えつける。
すぐに警察が8名ほど来て、その男性を連れて行った。
女性警察官が、被害者の女子高校生に、告訴するように促している。
別の警察官は、入れ替わり、捕獲時の状況を聞いて回る。防犯ビデオのUSB提出も求められていた。
その場に居合わせたお客も興味があるようで、本を読みながら聞き耳を立てているように見える。
そうこうするうちに、忙しい時間帯に入ってしまったようで、I店長は接客に追われるようになった。
わたしは目的を果たせず、店を後にした。

春は喧嘩の季節か2017/03/04 21:53

某C大学3号館の食堂で昼食

朝の通勤電車で、怒りの声が上がる。椅子に座ったとなり同士の諍いのようだ。
明らかに会社では上位にいるだろう紳士が、フリーターのような青年に謝っていた。諍いの原因は不明のまま、すぐに鎮静化した。

乗換駅につき階段を下りていると、踊り場で、振り上げた傘で年配の男性の後頭部をたたく姿が見えた。
傘でたたかれた男性は、同じように相手の、これも同じような年配の傘を持った男性の後頭部を素手でたたく。

すると、傘を持った男性が「暴力をふるうな」と非難する。
「お前が傘でたたいたろう」と、二人でお互いを逃げないように掴みながら、駅の改札にいた女性駅員に向かって行く。

わたしは通勤の流れに身を任せたままで、その後の顛末は知ることが出来なかった。
その後どうなったろうかという疑問だけが残った、朝の出来事…。

赤川次郎ギネス逃す2017/03/02 23:04

あの加藤清正も食べた朝鮮あめ

赤川次郎は今年、作家生活40年だそうだ。
この40年間で彼が出版した本は、今年の3月に文藝春秋から発売される「幽霊協奏曲」で600作目になる、という話を聞いた。
それで、赤川次郎の関係者と思われる方が、ギネス記録になるのでは、と申請したらしい。
ところが世界にはさらに上を行く作家がいて、1000冊を超えているのでギネス記録には遠く及ばないという結論になったらしい。
平均して、一年で15冊を刊行する超多作の赤川次郎でさえ遥かに及ばない作家は誰なのか、この情報を教えてくれた本人も知らないそうである。

落合護先生2017/02/14 23:22

富士山とスカイツリー

昨日の通夜に出席した。
妻の恩師であるが、仕事上も個人的にもお世話になった方であった。
ずいぶんと大きな器の人だという印象をもっていたが、数年前に義母の葬儀に出席していただいたときには、身体的には痩せていたのが記憶に残る。
「先生」と呼べる数少ない人物の一人だった。
敵も味方もそれぞれ多かった人生を歩まれたことと思う。そして筋を通した生き方だったように、わたしには思えた。
中学時代に、落合先生に触れることができたなら、私の人生も大きく変わっていたに違いない。
ここ数年、親しくしていただいた大切な人たちが亡くなり、喪服を着る機会がずいぶんと増えた。
葬儀場から帰る順路で、ドアのガラス越しに見えた落合先生の遺影に、深く頭を下げた。